村上-第四話 才能の発掘者として
五月の柔らかな日差しが窓から差し込むオフィスで、私は手元の売上データから目を上げ、入り口のドアの方に視線を向けた。桐山が颯爽と入ってくる姿が見える。最近の彼は何かが違う。
数ヶ月前の桐山涼介は、典型的な新人不動産エージェントだった。真面目で几帳面、マニュアル通りの接客。数字はそれなりに出していたが、際立った特徴もなく、他のスタッフと大差ない成績を収めていた。
しかし、佐藤さんという顧客との出会いが彼を変えたようだ。
「おはようございます、村上さん」
桐山が軽く会釈してデスクに向かう。彼のバッグからは、いつものように書類ではなく、カメラのストラップが少しだけ覗いている。
私は微笑みながらコーヒーを啜った。実は先週、営業会議でチーム全体の成績を確認していて気づいたことがある。桐山の成約率が、ここ一ヶ月で明らかに上昇していたのだ。
「佐藤さんの件以降、何か変わったのかもしれない」と吉田が言っていた言葉が頭をよぎる。
あの日、桐山は佐藤さんという難しい顧客を担当していた。何件案内しても決断できないという典型的な「迷い症候群」の顧客だ。通常なら成約まで何ヶ月もかかるタイプだが、桐山は驚くほど短期間で成約に導いたが、計算されたものではないだろう。しかし佐藤さんの件が桐山をの成長の促している可能性はある。
彼は変わった。そして、その変化の中心にあるのは「写真」だった。
昔から写真が趣味だったという話は入社時の自己紹介で聞いていたが、最近になって彼はその趣味を仕事に取り入れ始めていたのだ。
先日、偶然彼のデスクを通りかかった時、彼が作成していた物件資料が目に入った。通常の間取り図や設備情報に加えて、美しく撮影された周辺環境の写真が添えられていた。朝日に照らされた公園のベンチ、地元のパン屋の店先、夕暮れ時の街並み—それらは単なる情報ではなく、その場所での暮らしを想像させるものだった。
「このアイデアはいったいどこから…?」
私は自分のデスクに戻りながら考えた。多くのエージェントは条件や価格を重視する。それは間違いではない。しかし、最終的に家を選ぶのは感情だ。その場所で自分がどう暮らすかをイメージできるかどうか—それこそが決め手になることが多い。
桐山は写真を通して、数字では表せない価値を伝えようとしている。それは彼自身の目を通して見た「暮らし」の価値だ。
コーヒーを飲み干し、カップを手に立ち上がる。決めた。桐山にコーヒーを持って行き、話をしてみよう。彼の取り組みを社内に広めることができれば、チーム全体のアプローチが変わるかもしれない。それに、彼自身のキャリアにとっても大きな一歩になるはずだ。
コーヒーメーカーに向かいながら、私は笑みを浮かべた。人を育てることの醍醐味は、彼らが自分の才能に気づく瞬間を見られることだ。桐山はようやく自分だけの強みを見つけ始めた。これからが本当の始まりだろう。
「桐山、ちょっといいか」
私はコーヒーカップを両手に持ち、彼のデスクに向かった。新しい才能が芽吹く瞬間を目の当たりにする喜びを感じながら。